2012年5月11日金曜日

鳥肌の硝子戸

今、というか、まだ、憬月荘の約半分は骨組みのままだ。


壁は、「荒壁パネル」に裏山で採った土を上塗って、その外側の腰に板を張る。

その荒壁パネルのことは、前にも書いたが、ずっと沈黙を守っていたのが、戸をどうするかということ。

これは、随分長いこと悩んだ。挙句、昭和のガラス戸に落ち着いた。

古民家再生玄関には、いまや、蔵戸の応用がお約束のようになっているが、どうもそういうおしゃれな使い回しは吾輩の性に合わない。憬月荘にも不似合いだ。

大戸はオーソドックスで魅力的だが光が入らない。と言って、障子では弱い。

素朴質実な憬月荘のたたずまいにしっくりなじんでなお外光を入れる戸と言えば、昭和民家の腰付きガラス戸だろう。

そう決めて、3月半ばに古材、古建具のひでしな商店に行き、物色させてもらった。なんとイメージどおりのものがすぐ見つかったが、丈が高すぎるので、決めかね、そのあと何十枚も見たが、ほかに気に入るものは無かった。で、鴨居の高さの調整が可能かどうか確認し、可能であったらあれにしようと思って、いったん引き上げた。

因みに、ひでしな商店では、その昔、我輩の第一引退期に、見習い勉強させてもらっていたことがある。親方には大変世話になったのだ。その消息はいつか書くかも知れない。

次の週末、憬月荘で鴨居の調整も出来ないことは無いと確認したものの、もっと大きな発見をしてしまった。

納屋に幾種類かの古い建具が重ねて立てかけてあるのは分かっていたが、どんな戸か、まだ調べていなかった。もしやと思って探してみると、かつて玄関に使われていたに違いないガラス戸が二枚出てきた。

我輩がこの家を購入したときには、玄関を含む東半分は改築増築されていて、玄関の戸は田舎に良くあるアルミのサッシュだった。この改築増築部分をすべて壊して土間に戻しかけているのが現状だ。戻しかけていると言う微妙な物言いは、先に述べたごとく、骨組み状態の故だ。

さて、その出てきたガラス戸が、驚くほどひでしな商店で見つけたイメージぴたりのガラス戸に似ていた。木の枯れ具合、変色具合こそ全然違っていたが、桟架けの意匠は、そのままだった。もともと我輩の頭にあったイメージはこれだったのだと思った途端鳥肌がたった。



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